ヤマノススメは富士山回がずっと続いています。みんなかわいいですよね。 かわいい女の子が山を登る姿はなんかぐっとくるものがあります。
大学時代から5年間富士山の山小屋でアルバイトをしていたので、そこで働いていた思い出などをつらつら書きます。
富士山の山小屋はだいたい6月中旬から9月中旬までしかやっていなくて、僕は大学の夏休みとなる7月から8月までバイトをしていました。
その仕事内容
業務内容ですが、いわゆるリゾートバイトを想定してもらえるとわかるかもしれません。
http://www.rizoba.com/support/rizoba/?compe=rizoba_02
頂上でご来光を見るお客が宿泊するので、食事と寝る場所を提供するのが富士山の山小屋。 そこで清掃、接客、食事の提供、その他諸々の仕事を住み込みでやります。
基本的にほぼ24時間営業なので、昼勤と夜勤に分かれて仕事します。
昼勤のしごと
- 朝起きたらすぐに小屋の清掃
- 朝食
- 朝から山小屋を出発して頂上を目指す団体さんがいるので団体さんを迎えて送り出す
- ふたたび清掃(途中休憩)
- 昼食
- 清掃など(途中休憩)
- 頂上でご来光を見る登山客をお出迎え
- 接客
- 夕食
- ふたたび接客
- 清掃
- 就寝
夜勤のしごと
- 夕方起きたらすぐに接客
- 夕食
- 接客
- 清掃
- 頂上でご来光を見る登山客を送り出す
- 夜食
- 接客
- 朝ご来光を見る登山客を送り出す
- 清掃
- 朝食
- 朝から山小屋を出発して頂上を目指す団体さんがいるので団体さんを迎えて送り出す
- 就寝
だいたいこんな流れでした。よほどのことがない限り途中下山することはありませんでした。 詳細な統計は知りませんが、登山客の大半は頂上でご来光を見るためにやってきます。 昼勤は7が、夜勤は5と8が一日でいちばん忙しい時間帯です。 今回のあおいちゃんグループみたく個人で登る人(1人-5人くらい)もいれば、旅行会社のツアーで登る人もいます(だいたい3、40人くらい)。
個人で宿泊する場合は予約をする必要があります。 あおいちゃんが高山病になって、それをかえでさんが介抱する形で八合目の山小屋で予約なしで素泊まりするシーンがありましたが、 これはケースバイケースで、寝る場所の空きがあれば泊まることができますし、空きがなければ泊まることはできません。
あおいちゃんたちが山を登っていたときは比較的天気が良かったですが、山の天気はかなり気まぐれで、1時間おきに雨が降ったり晴れだったりすることもあります。 頂上に行くほど気温も低く天気も気まぐれになり風も強くなってくるので、風が強すぎて山小屋から出られない、ということもありえます。
そういうときは特に修羅場で、数百人の宿泊客をいっぺんに外に送り出さないといけないので本当に大変でした。
そんなかんじで思い出
今になってみるとなぜ富士山の山小屋でアルバイトをしようとしたのか、あまり思い出せません。
大学の掲示板にアルバイト募集の張り紙が貼ってあったので、簡単な面接を受けてわりとすんなりバイトをすることが決まりました。なぜかスーツを着て面接に臨んだわけですが、それは後々ずっとネタにされました。
当時の僕はもうすでに一日中部屋でアニメ見ながらゲームに勤しむダメ学生でろくに人と喋ったことすらなかったのに、なぜ接客の住み込みバイトをやろうと思ったのか甚だ疑問です。 バイトが始まる前にバイトのメンバーで食事会をやりましたが、ほとんど一言も言葉を発することなく食事会を終えたので、「アイツ本当に大丈夫か?」と影で言われたそうです。
アニオタのコミュ障が未経験の接客をやるのですから、それはもう大変でした。 お客にする説明が覚えられない。覚えても説明がほとんど人に伝わらない。お客が来たのにお客が来たことを伝え忘れる。何をしたらいいかわからない。もう毎日怒られていたような気がします。
とりあえず毎日クラウゼヴィッツとハイエクを読みながら夜を過ごしました。
「お前何ゆーとんのかわからんわ」ってお客に言われたり、「次お前これやったらクビだぞ」って言われたこともありました。 あまりに説明が人に伝わらないので、ひとり泣いたこともあります。
いろいろ考えて、考えた挙句、とりあえず気づいたことをメモすることにしました。 「抑揚をつけて話す」とか、「このツアーの人たちはこういう性格のひとたちが多い」とか、「飯ができたら走って呼びに行かないと蹴られる」とか、馬鹿みたいにメモしました。 あまりにわけのわからないことを細かくメモしたので、最終的に何冊かになりました。
あと、清掃するときに、壁の溝や、天井の梁、窓の縁など、とにかく細かく掃除することにしました。 尋常じゃないほど細かく掃除したので、「細かいことによく気づく奴」みたいな感じで次第に評価されていったのを覚えています。
それでもまあコミュ障だし要領が悪いのであまり出世するには至りませんでしたが、同期のなかで一番仕事ができなかった僕が、 なんだかんだでバイトの先輩とか山小屋の社長とかに気に入られて5年働くに至りました。
5年間働いて得られたこと、気づいたこと
大学時代の夏はだいたい富士山だったので、やっぱり思い出深いことが多いですが、だいたい3つのことに気づきました。
- 人は簡単に死ぬ
- 山小屋で働く人は影のある人が多い
- そこで得られた人間関係はうまくいかない
人は簡単に死ぬ
ある夜のことです。こんな感じで星がすごく綺麗な夜でした。 眠気眼で外で杖に焼き印を押していると、「下で人が倒れている」と知らせを受けました。 医者と他のバイトの人を連れて下まで降りてみると、本当に人が倒れていて、周りの人が何か声をかけていました。 寝ているバイトを何人か起こして、薬を投与したりして、最終的にその人はブルドーザーで麓まで運ばれていきました。
「あれはもう助からんだろうな…」と誰かが言っていました。小屋に戻ると女将に塩を撒いてもらったのを覚えています。 後でその人は亡くなられたことを知りました。 山というのはとかく恐ろしいところで、下界じゃなんともなくとも山に登ると急に体調を崩して最悪死ぬこともあるのだなとその時感じました。
また、これは山小屋の仕事とは直接関係がありませんが、登山するときにはガイドつきで登ることがあります。特にツアーで登ってくる団体にガイドは必須で、ガイドのぶんの食事と寝る場所を提供するのも山小屋の仕事のひとつです。
そのガイドさんはスノボが趣味だったそうです。 ある日、そのガイドさんが亡くなられたことを知りました。スノボをしてて途中に事故にあって亡くなられたと聞きました。
特に会話したこともなかったのですが、人がこんなにあっさり死ぬことに驚きを隠せませんでした。
自然を相手に仕事にしていると、比較的死というものに直面しやすいということは否めませんが、やっぱりそれでもつらかったです。
山小屋で働く人は影のある人が多い
具体的な給料は言えませんが、このバイトは住み込みで途中下山もないので、働き終える頃には比較的まとまった額のお金が手元に残ります。 そういう理由で、影がある、というか、相当貧乏な学生などが山小屋で働いていました。
親が借金を抱えていたりして生活費はおろか学費まで自分で工面しないといけない人なんてザラで、ひどいのになると大学で寝泊まりしている人もいたそうです。 それでも山小屋の給料だけではどうにもならないのでバイトを掛け持ちしてろくに授業も受けられないそうでした。
流石に本当に消息のわからない人はまわりにはいませんが、大学を8年かけて卒業した人とかいて、まともな人生を歩んでいる人が少ないイメージでした。 何をもってまともというべきかもはやわからないくらいに。
そこで得られた人間関係はうまくいかない
この本は最後の強力(山小屋に食料などを運ぶ人)さんの伝記ですが、彼も山小屋で出会った女性と結婚したそうです。夜勤のとき暇なときはずっとこれを読んでいました。 つまりなにが言いたいかというと、男女の出会いがあるってことですね。
そういうわけで、山小屋で知り合って、そのまま結婚していった人たちを何人か知っています。 「うまくいかない」って思わず書きましたが、結婚して子供を産んでうまくいっている人たちも大勢います。
僕の近しいところだと、山小屋で知り合った友人が、同じ山小屋で働いていた女性と親しくなり、数年のお付き合いを経て、結婚しました。 僕はその友人とかなり仲が良かったので、馴れ初めも付き合っているときのこともよく知っていていました。 奥さんとも仲が良かった関係で、結婚するときは保証人になったし、夫婦茶碗も贈ったし、ご祝儀も意味なく奮発しました。
しかしその夫婦は数年たってかなりひどい形で離婚しました。原因は旦那の浮気です。
日々消耗していく奥さん、穴ボコだらけの壁、ボロボロになっていく人間関係。離婚が決まった日は僕も泣きました。
兄のように慕っていた男と、妹のように慕っていた女性。このまま幸せな家庭を築いてくれることが僕のささやかな夢のひとつでした。
正式に離婚が決まった時、僕の山小屋人生も終わりを告げることとなったのです。
まとめ
というわけで、別にまとめるものも何もないわけですが、過去は過去、思い出は思い出。 贈った夫婦茶碗がどうなったかがちょっとだけ気になりますが、自分が何者であったかの一部分をここに記します。