1年と10年の〆として。
筑波の国際は10年前に入学した時も「女性率が高い」だの「海外を見てる」だの「華がある」だの言われていたが、最近調べてみても「リア充の集まり」「女性率が高い」という口コミだった。あんまり変わってないなっていう印象だった。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
筑波は地図で見ても陸の孤島で、入学当時は、東大京大に受からなくて浪人もできなくて仕方なく入学した人が一定数いるっぽかった。自分が住んでた寮の部屋の隣の住人もまさにそのクチで、入学して数ヶ月くらいしたらそのまんまフェードアウトしていって休学してしまった。その後の彼の消息は知らない。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
学部での新歓、たまのコンパなど、どのイベントも何もかもが目にも鼻にもついて何も馴染めなかった。「リア充っぽい空気」などと言われていても、やはりそれは完全に村社会的なナニカで、若いが情報収集力もなく行動力もなくただ悶々としていた僕は、ひたすら本を読みアニメを見るしかなかった。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
毎日悶々としていた日々を送っていたが、たまたま見つけた富士山の山小屋のアルバイト募集の張り紙を見て、「ちょっとやってみようか」くらいの気持ちで始めて見て、そこで割りと今でも続いている人間関係を構築できたので、それがなかったら本当にどうなっていたかわからない。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
ので、せっかく入った大学があまりにつまらなくてドロップアウトするのはアリっちゃアリだが、やはり大学での囲いがすべてではないので、本当に行き詰まったら一旦外に出て外の世界を味わってみるのもいいかもしれない。とは思った。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
なお、そこで得られた人間関係を持ってしても、就活は蓋を開けてみると本当にひどいもので、何社面接を受けたかわからない。このあたりは、具体名を出すとちょまど氏やイケダハヤト氏ですら、新卒の就職先を間違えてしまっているので、これは人間関係とか本人が優秀かどうかは関係ないと思っている。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
筑波の国際の卒業後の就職先を調べてみると、それはもう誰もが知っている上場企業の総合職とかSEとかそういうのばかりで、自分みたいにWeb系のエンジニアはそんなに、というかほとんど居ないだろうというのはある。ので、自分の人生はこれから入学したい人、在学生などには全く参考にならない。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
当時就活をしていた頃の自分の思考回路も本当に狂っていて、「地方を活性化したい」から謎の飛躍でパチ屋に就職しようとした。パチ屋に就職することは親も友人も反対しており自分はこの道を行くんだ!と思ったけど諸般の事情で内定は辞退した。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
なお、卒業間際、友人に唆されて卒業式の日の次の日に某片栗粉Xを作っている会社に面接に行ったが、持ち前のコミュ障のせいでそれも落ちた。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
卒業して晴れてプータローになったので、地元 大都会岡山に戻り某居酒屋チェーンでバイトをすることにした。面接では即決だったのに、実際に働き始めたのは1ヶ月後で、ひどくやきもきすることになった。それと並行してRubyの勉強を始めるようになったのだが。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
そもそもRubyの勉強を始めるようにしたのは、富士山の山小屋時代で出来た友人に、「何もやることないならプログラミングを始めてみなよ」と言われたからである。そこに主体性はない。あまり乗り気じゃなく、正直言って本当に仕方なく始めたのが自分のプログラマとしての原点である。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
居酒屋チェーンでキッチンスタッフとして働くようになったのだが、シフトは1日数時間の週2回、時給1000円以下で、とてもじゃないがそれだけで生きていける額は稼げない。手取り15万などという贅沢な身分からは程遠い生活だ。プログラミングの勉強をしつつ、親のすねをかじる日々が続いた。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
そこでバイトしていたのは、上は岡大から下はなんか良くわからない私大の大学生が多かったけど、話が全く咬み合わない。
僕「プログラマを目指してる」
バイトのJD「資格とか持ってるの」
僕「いいえ」
バイトのJD「資格持ってないときついんじゃね」
このやりとりは今でも忘れられない。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
バイトのシフトが少なすぎるのでもっとシフトを増やすように店長に直訴したら、店長はすっげえ嫌そうな顔をして、「今の君の実力ではシフトは増やせない」と言われた。その時の店長のすっげえ嫌そうな顔は、今でも忘れられない。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
プログラマやるのに資格とかいるのかよって当時でも業界のことはそんなに知らなかったけど、就職に必要か?必要なのか?という疑問は拭えなかった。実際今でもその手の資格は一切持っていないが、今でもエンジニアとしてい糊口をしのげているから、僕の考えは一応は正しかったことになる。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
半年くらい、週2のシフトで居酒屋バイトはがんばってきたけど、今とは比べ物にならないくらい罵倒され続けてきたので、終盤は出勤が本当に憂鬱で、体の調子悪くならないかなって本当に思いながら仕事をしていた。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
時たま仕事をするためのアリバイ作りみたいな感じで課長とか部長とかが店にやってくるのだが、ある日課長が冷麺をオーダーした。冷麺は自分の受け持ちだが、金曜の夜で忙しい時期だし、客のオーダーのほうが優先だろうと思って1時間くらい放置していたら、社員にメタクソに起こられた。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
社員にメタクソに怒られたあと、社員の話をして、1週間以内にメニューの作り方とか分量とか全部覚えてこい、覚えてなかったらどうなるか分かってんだろうな?って脅されたが、そんなん知らんわ、と思ってその次の日に人妻と映画を見に行き、その後バイトを辞める旨を記した手紙をバイト先に送った。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
だいたい、1日数時間、週2のシフトでメニューなんか覚えられるない。食材だって家にあるのじゃつくれないんだから。別に社員とか他のアルバイトからのフォローがあるわけでもなく、付け焼き刃の記憶で作り方をマスターできるわけないし。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
とりあえず今日、昔勤めてたバイト先を確認したら、まだ営業はしていたっぽかった。働いている人たちはこぞって辞めたり卒業したりしていなくなっているだろうけど。今彼らはどうしているのだろうか、と思うと、なんとなく染み染みとしないでもないが、奴らの名前を全く覚えていないのだった。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
やっぱりああいう荒事だらけの戦場では、居酒屋未経験のコミュ障が生き抜ける術もなかったんだなあと思った。逃げるようにバイトを辞めたので、そこで働いてた人で今でも連絡をとっている人などいないし。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
その後某スイッチの塾で塾講師をやっていたが、むちゃくちゃしんどいわけでもないが、仕事の後でちょっと飲みに行くとかそういうのが全然なく、そこでも今でも連絡をとっている人は得られなかった。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
いくつかバイトをやったけど、やはり思うのは、やる気で以って人間関係を構築しようとしないと有効な人間関係は得られないということだった。出会って10年近く経つ今でも連絡をとっている仲間が得られることもあれば、全く連絡も消息も知らずに終わることもあるので。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
バイトと並行して、自転車とか車とかを飛ばして、いろいろなところでプログラミングの勉強を続けた。岡山市内在住なら知っているかもしれないが、「ふれあいセンター」なる謎の箱物がいくつかあり、基本的にはそこと、岡山大学の図書館で勉強していた。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
図書館では大学生が多く、ふれあいセンターは暇を持て余した老人たちと、昼過ぎになると授業をサボったヤンキーっぽい中学生がたむろしてて、その中でもくもくと勉強をしていると、正直自分はこの先どうなるんだろうって本当に不安になった。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
不安を払拭するためにひたすら写経して関係ある本は読んで…っていうのを繰り返していたある日、友人に「うちの会社来ないか」って誘われたのが僕のエンジニアとしてのキャリアのスタートである。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
最初は「仕方なく」みたいな感じでプログラミングを始めたけど、このまま行ったら無職とフリーターをうろうろする負のスパイラルに突入するのは分かっていたので、その誘いは全く迷わず二つ返事でOKを返した。ここで頑張らなければ自分が死ぬ。そんな感じで岡山をあとにした。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
筑波の国際の話だけど5年の中で得られたのは、多少の海外経験で得られた英語スキルと、自分にいろいろ道を示してくれた友人と、本の知識だけだった。もし自分に人並み以上のコミュニケーション能力があれば、たぶんエンジニアではなく丸の内とか霞が関あたりで総合職をやってたろうなとは思う。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
入学当初は「英語で仕事ができたらいいな」くらいの気持ちだったけど、人とも土地とも馴染めなくなると自分は何をしにここに来たのか分からくなって、どん詰まりになる。軽い気持ちで知らない土地の大学に行ってはいけない。できれば進学は地元か都会がいいと思う。特に自分みたいなコミュ障は。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015
色々書いたが、それでもやっぱりコードを書いたり読んだりするのは結構好きな自分がいるので、今はそれで生きてるし、たらればのは話は意味が無いので、引き続きエンジニアとして生きていこととする。
— shigemk2 (@shigemk2) December 30, 2015