今から数年前、僕は友人とフィリピンへ語学留学に行っていた。
僕らはそれぞれ別の学校に通っていたのだけれど、ネットが使えたので
Gmailのチャット機能を利用して連絡を取りあっていた。
何か思うところがあって、そのころの友人とのGmailのチャットでの
やりとりを最近読み返してみた。
当時僕はすごく焦っていて、とにかく英語が出来るようになりたいと思っていた。
そのため、とにかく学校で勉強をしなくてはと思い、
授業を多めに取っては部屋に籠って学校の宿題に明け暮れていた。
外国にいるからなのか、その友人が生来の寂しがり屋なのか、
彼は僕と一緒に遊びたがっていた。
僕はとてもイライラしながら、宿題をやろうと必死だった。
チャットを読み直してみると、
「一緒に遊ぼうぜ」
「宿題があるから無理」
このやりとりがチャットの大半を占めていた。
見かねた彼は、僕にこう言った。
「お前の敵は、焦燥感だ」
そのものずばりではある。その頃は妙に焦っていたのは事実だし、
何に焦っていたのかも分からないのも事実だった。
しかも焦っているわりに、何をしていたかといえば学校で大人しく
勉強をしていただけだったので、端から見れば
僕は本当につまらない人間だったのだと思う。
今から思えば本当に恥ずかしい。
ここでその友人について軽く説明すると、
進学校ではない高校を卒業した後、放送系の専門学校へ通っていたが、
どういうわけか専門学校を中退し猛勉強して国立大学に入学した御仁である。
そいつがいつも周りに言っていたのは、
根拠の無い自信は重要だ
ということだった。
事実彼は常に自信に満ち溢れていた。
その自信はどこから来るのか全く分からないのだが、とにかく
バイタリティの塊だったことは確かで、
英語全然出来ないのにワーホリに行ったり、
ろくに長距離を走ったこともないのにフルマラソンに挑戦したり、
反政府軍のテリトリーなのに旧日本兵の遺骨を拾うボランティアに参加したりと、
何だかよく分からないけど色々なことをやっていた。
まあまあすごく僕とは対照的な人間である。
これほど自分と違う人間もたぶんいないのではないだろうか。
フィリピン留学から数年後彼は会社を立ち上げることになり、
僕は彼の部下(直属ではないが)として働くことになる。
数年前のチャットを読み返してみても、僕もそいつも
全く変わっていないなあと思うのだった。
そいつは今も自信に満ち溢れているし、
僕はいつも焦っている。
ともすれば専門卒→職が見つからずニート→派遣という専門卒の
呪われた黄金コースを辿り底辺に落ちかねなかった人間が、
大学入学、起業、果ては結婚まで出来たのは、
おそらく根拠の無い自信というやつがあったからだろう。
しかし、僕の焦りからは、何も得られなかった。
だがそれでもなお今僕は焦っている。
一応アマグラマではなくプログラマとして飯を食ってはいるが、
学部レベルのプログラマとしての教養も無い自分が、
学部レベル以上の教養を持つプログラマと、
太刀打ち出来るかどうか分からないからである。
そういうのをどうしたら良いかと言えば、
たぶん焦りを捨てて、自信を持たねばならないのだと思った。
今年は色々すったもんだあったけど、こんな感じで今年を締めたい。
このあとまたブログ書くだろうけど。